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上座部と大衆部 


 第二結集における
戒律を巡る保守派と改革派
の論争は保守派で決着する。
 参考→第二結集

 もともと、ことの発端は
保守的な比丘がヴェーサリー
の比丘が金銀を貰うのを目撃、
告発することに始まる。

 厳格な長老たちにより
戒律の緩和は否決されるが
栄える商業都市に多数の
改革派の存在がある。

 結局、この決定に
不満を持つ改革派は
袂を分かち新たな教団を
形成することになる。

 この保守派と改革派の
分裂を「根本分裂」という。

 改革派は「大衆部」
保守派は「上座部」と
呼ばれる。部はグループ
という意味である。

 その後も、枝末分裂を
繰り返し、最終的には
20部ほどの部派に分裂。

 このような仏教は
「部派仏教」と呼ばれる。

 原始教典である「釈迦
の仏教」は「部派仏教」
の時代へと移る。



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