最期の宴(京都)
醍醐寺は京都市伏見区
にある真言宗醍醐派の
総本山である。世界遺産に
登録されている。
豊臣秀吉による「醍醐
の花見」で知られる。
秀吉はその5か月後、
亡くなり、秀吉の最期の
宴、イベントとなる。
第80代座主義演(ぎえん)は
秀吉の帰依を得て、応仁
の乱で荒廃した醍醐寺を
復興した中興の祖とされる。
義演は秀吉の最期が近い
ことを感じ取り、英雄に
相応しい晴れの舞台を
準備したともいわれる。
1598年4月20日、
諸大名からその配下の
女房女中衆1300人程の
盛大な催しとなった。
秀吉一世一代の
催し物「北野大茶湯」に
匹敵したともいう。
招いたのは北政所、
淀殿など女性ばかりで
男性は秀頼の他は前田利家
だけだったといわれる。
華やかな女達を交えた
花見の宴は酒も入り今の
花見の源流ともされる。
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醍醐寺・境内の桜(京都) |
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