晩年を過ごす(京都)
とんちの「一休さん」で
知られる一休宗純(そうじゅん)。
実は「とんちばなし」は
「一休咄」として江戸時代に
作られた説話である。
一休は室町時代の臨済宗
大徳寺派の禅僧である。京都で
生まれ幼名は千菊丸。後小松
天皇の血を引くともいう。
京都府京田辺市の一休寺は
一休が晩年を過ごした寺で
ある。正式名は酬恩庵。
正応年間(1288-93年)
臨済宗の高僧・大応国師が
開いた妙勝寺が前身。
その後、一休が中興。
師恩に酬いるとの意味で
酬恩庵と名付けたという。
方丈の一休禅師木像は
一休88才逝去の年の像で
頭髪とヒゲは自らのものを
植え付けたといわれる。
一休の墓は「慈揚塔」
と呼ばれ、後小松天皇
落胤説に基づき陵墓として
宮内庁が管理している。
方丈庭園は江戸時代の
禅院枯山水庭園で国の
名勝に指定されている。
典型的な禅苑庭園である。
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一休寺・方丈庭園(京都) |
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