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桂昌院による復興(京都)


 善峯寺(よしみねでら)は京都市
西京区にある。

 かつては、50余りの
堂塔を有する大寺院で
あったが応仁の乱で焼失し
荒廃したといわれる。

 その後、桂昌院(けいしょういん)の尽力に
より復興されたという。

 桂昌院については
諸説あるが、次のような
伝承がある。

 八百屋の娘であったが
父の死後、母は二条家の家司・
本庄太郎兵衛宗正と再婚。

 幾度か両親に連れられ
善峯寺を参詣したという。

 二条家の縁戚だった
家光の側室お万の侍女
として大奥に入いる。

 1646年(正保2年)
家光の寵愛を得て
4男徳松(のちの5代
将軍・綱吉)を出産。

 1687年(貞享4年)、
綱吉42歳にあたり、善峯寺に
「厄除けの鐘」を寄進。

 1691年(元禄4年)
本庄因幡守を監督役とし
善峯寺の伽藍整備・復興。

 吉峯寺には桂昌院遺髪を
納めた「桂昌院廟」がある。


善峯寺・山門(京都)



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