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応仁の乱と楼門(京都)


 伏見稲荷大社は京都市
伏見区にある。稲荷山を
神域としその麓に社殿がある。

 中でも楼門は神社では
最大規模とされる。国の
重要文化財である。

 応仁の乱は室町時代
の1467年(応仁元年)から
1477年(文明9年)まで
約11年間続いた内乱である。

 京都の多くの寺社は
壊滅的な被害を受けたが
当社も例外ではない。

 稲荷山は細川氏側
の軍勢の陣地となった。

 1468年(応仁2年)、
山名氏側の攻撃を
受けて山上の建物も
含めて全て焼失。

 その後、楼門は1589年
(天正17年)、豊臣秀吉
により再建されたという。

 秀吉が母「大政所(おおまんどころ)
の病気治癒を祈願して
寄進したといわれる。

 大政所が治癒すれば
一万石奉加という秀吉の
「命乞いの願文」が伝来する。

 楼門は応仁の乱後、
秀吉寄進まで約120年間
ほど無かったとされる。


伏見稲荷大社・楼門(京都)



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