豊烈打毬(山形)
豊烈神社は山形県
山形市にある。
1821年(文政4年)、
天保の改革で知られる
老中・水野忠邦が藩祖・
水野忠元を祀る。
水野家は忠政の娘が
徳川忠広に嫁し家康を出産。
家康の生母の生家でもある。
1848年(弘化5年)、
忠精が山形藩移封に伴い
山形城の二の丸付近に遷宮。
10月6日の例祭には
古式豊かな騎馬打毬
「豊烈打毬」が奉納される。
打毬は馬に騎った者が
2組に分かれ打毬杖により
毬を毬門に早く入れる
ことを競う競技である。
現在の打毬は享保
年間、八代将軍・徳川吉宗
により復興されたという。
宮内庁(宮中行事)、
青森・八戸市と共に日本
三古式打毬の1つとされる。
武士の作法と精神を
今に伝える市指定の
無形民俗文化財である。
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豊烈神社・拝殿(山形) |
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