残った五重塔(山口)
山口の瑠璃光寺(るりこうじ)の
五重塔は京都の醍醐寺、
奈良の法隆寺と共に「日本
三名塔」とされる。
1395年(応永2年)、
この地に25代大内義弘が
香積寺(こうしゃくじ)を建立。
1399年(応永6年)、義弘は
足利義満に敗れて戦死。
義弘の弟・盛見が兄を
弔い五重塔建設も完成を見ず
1431年(永享3年)戦死。
五重塔はその後、1442年
(嘉吉2年)頃に完成。
大内氏亡き後、支配する
毛利氏は関ヶ原の戦いで敗れ
家康により萩に移封される。
香積寺も萩に移転。
解体されそうになった
五重塔を町民が奉行所に
阻止の嘆願書を提出。
奉行所が了承し
五重塔は残ったという。
今は、ここへ移転した
瑠璃光寺の管理下にある。
嘆願書の写しは瑠璃光寺
資料館に展示されている。
歴史に翻弄された五重塔。
町民の熱意のお陰で、ここに
美しい五重塔がある。
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瑠璃光寺・五重塔(山口) |
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