万歳と山号(沖縄)
首里観音堂は沖縄の首里
台地の西端「万歳嶺」上にある。
時の国王・尚真(しょうしん)が
遊覧した際、王の治世を祝い、
万歳の声が沸き起こり
「万歳嶺」と称するという。
山号は「万歳嶺」である。
多くの山号が文字通り
「山」とするなか、「嶺」
とするのは珍しい。
1609年(万暦37年)、
琉球は薩摩の島津氏の
侵攻を受け、降伏。
佐敷王子(のち尚豊王)が
薩摩藩の人質となる。
1618年(万暦46年)、
王子の無事帰国を祝い
父・尚久王の発願により
観音堂と慈眼院を建立。
琉球処分の後、慈眼院は
廃寺となり、観音堂が慈眼院
の名称を引き継いだという。
現在、慈眼院が正式名で
首里観音堂は通称名である。
万歳嶺は見晴らしが良く
那覇市街が一望できる。
首里八景の1つである。
万歳嶺の由来と山号。
歴史を知り、親子の心情を思う。
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首里観音堂・山門(沖縄) |
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