安祥寺(京都)
安祥寺(あんしょうじ)は
京都市山科区にある
高野山真言宗の寺院である。
848年(嘉祥元年)
藤原順子の発願により
入唐僧・恵運(えうん)が
創建したと云われる。
順子は仁明天皇の娘で
文徳天皇の母親であり
藤原一族の鎮護寺として
開創したとされる。
かっては境内裏山の
安祥寺山・中腹の観音平の
上寺、山麓の下寺から
なる大寺だったという。
朝廷縁の定額寺となるも
応仁の乱で荒廃する。
江戸時代、下寺のみ再建、
高野山宝生院兼帯所となり
「高野堂」ともいわれる。
現在は、本堂、地蔵堂、
大師堂のみが残る。本堂には
本尊・木造十一面観音
立像が安置されている。
地蔵堂には地蔵菩薩像を
祀る。五智如来坐像は京都
国立博物館に寄託されている。
町名、山名、川名をはじめ
中学校名にもなる安祥寺であるが
残念ながら現在は非公開である。
所在地 |
京都市山科区御陵平林町22 |
山号 |
吉祥山 |
宗派 |
高野山真言宗 |
本尊 |
十一面観音立像 |
創建年 |
848年(嘉祥元年) |
開基 |
藤原順子 |
備考 |
高野堂 |
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