法然院(京都)
法然院(ほうねんいん)は
京都市左京区鹿ケ谷にある
宗派単立の寺院である。
鎌倉時代初期に
法然が弟子たちと共に
六時礼讃の念仏を勤めた
草庵にはじまると伝わる。
後鳥羽上皇による弾圧、
「建永の法難」で廃絶。
その後、江戸時代、
1680年(延宝8年)忍澂が
師の知恩院の第38世萬無
と共に再興したとされる。
茅葺き屋根の山門を潜ると
両側に白い盛り砂「白砂壇」
(びゃくさだん)がある。
本堂は瓦葺の仏殿と
銅板葺の拝殿からなる。
堂内には本尊の阿弥陀
如来坐像が安置されている。
本堂正面の石段上の
地蔵菩薩像は忍澂46歳の
自身と等身大の菩薩像を
鋳造・安置させたものという。
本堂北側の方丈の
狩野光信筆の襖絵は
重要文化財に指定されている。
境内東側の墓地には
谷崎潤一郎などの墓がある。
椿の名所でも知られる。
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地蔵菩薩像 |
所在地 |
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町30 |
山号 |
善気山 |
宗派 |
単立 |
本尊 |
阿弥陀如来 |
創建年 |
鎌倉時代初期 |
開基 |
法然 |
正式名 |
善気山 法然院 萬無教寺 |
備考 |
法然上人ゆかりの寺 |
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