醍醐の花見
花見といえば、桜。
全国各地に「桜の名所」
といわれるお寺は数多くある。
なかでも有名なのは
醍醐寺の豊臣秀吉による
「醍醐の花見」である。
1598年4月20日、約1300人。
招いたのは北政所、淀殿
など女性ばかり。男性は
秀頼の他は前田利家だけという。
その約5か月後秀吉は亡くなり
秀吉最後のイベントとなる。
桜と女性、華やかな秀吉
好みの宴ではある。
古来、日本で花といえば梅。
花見は梅が中心とされた。
万葉集でも桜の歌は数少ない。
醍醐の花見は桜、女性、
それに酒が加わり今までの
花見風景を覆したと云われる。
その後、花見スタイルは
庶民にも広がり、今の花見
文化の源流になったという。
3代将軍・家光が吉野の
桜を移植した上野の寛永寺
などは桜の名所で賑わう。
江戸時代、桜の花見は
一大イベントとなる。落語にも
出てくる、「長命寺の桜もち」
など庶民の娯楽ともなる。
醍醐の花見から
日本の花見文化が変わる
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醍醐寺(京都) |
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