歌人・西行と弘川寺
弘川寺(ひろかわでら)は
大阪府南河内郡にある
真言宗醍醐派の寺院である。
葛城山の麓にあり
周辺は桜の名所である。
寺伝では、665年
(天智天皇4年)、役行者が
自刻の薬師如来を本尊
とし開創したと伝わる。
812年(弘仁3年)、空海
(弘法大師)により中興。
平安時代の歌人・西行
終焉の地で知られる。
西行の俗名は佐藤義清、
23歳で出家、漂泊の末、
この地において73歳で
没したと云われる。
新古今和歌集には最も
多い94首が選ばれている。
「願はくは花のしたにて
春死なむ そのきさらぎの
望月のころ」と詠んだ西行。
その歌の通り、桜の季節に
生涯を閉じたという。
西行堂は西行を崇拝した
似雲法師が西行の墓を
尋ね当て建立したという。
本堂脇の山道を登ると
西行墳・墓石、歌碑がある。
平安時代の歌人・西行
漂泊の末の終焉地
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弘川寺(大阪)西行堂 |
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