神秘的な何か
「神秘的な何か」を
信ずるか、否か、宗教の
永遠のテーマかも知れない。
神を信ずる、仏を信ずる
絶対的な宇宙の何か(?)を
信ずる、そこに救いがある
という宗教的視点がある。
しかし、釈迦の仏教は
「神秘的な何か」を否定する。
むしろ、「神頼みをしない」
画期的なことである。
すべては原因と結果で
動くという科学者も注目する
合理的な思考を基本とする。
参考→釈迦の仏教
すべて永遠なものはない。
自分を含めて粛々と移り変わる。
だから自分中心の見方を変える。
そこには神秘的な何かに
頼るのではなく、自分の力で
自分を変える力強さがある。
釈迦の仏教は自分だけの
「自己鍛錬のシステム」。
心が病んだら寄れば良い
という「心の病院」説もある。
その後の仏教は仏像祈願を
巻き込みながら大乗仏教、
密教と神秘性を加味していく。
何かに頼り「信じる-祈る」
方向へと動いていく。
(詳細は後述)
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