遺骸と偶像
釈迦が荼毘に付されても
弟子たちは釈迦の教え通り
釈迦の遺骸に全く見向きも
しなかったという。
「亡くなった人があとに
残す遺骸や遺骨などには
さほど意味がない」からである。
(「ブッダ・真理のことば」佐々木閑著)
ここからは死後の遺骨を
大切にする思想は生まれない。
今の日本の葬儀スタイルは
釈迦の仏教からは予測し難い。
一方、釈迦は偶像を禁止した。
頼るのは自分だけ。誰かに、
助けを求めてはいけない。
神秘的な何かにすがる。
いわば、神頼みはいけない。
その延長線上に仏像の
ような偶像崇拝を否定する。
たとえ、それが釈迦自身で
あってもである。
「自灯明 法灯明」の遺言
通り、頼りは自分と釈迦の
教え(言葉)だけである。
これまた、仏像を拝み
ご利益に期待する今の日本
の仏教は想像が難しい。
遺骸無関心から仏舎利
(遺骨)崇拝、偶像禁止
から仏像誕生の時が待つ。
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