菩薩の実力と三尊像
如来は悟りを得たもの、
菩薩は悟りを得ようと修行中のもの。
従って如来は菩薩よりランクは上である。
大乗仏教は出家による修行だけでなく
在家のままでも修行は許された。
それが大乗仏教が庶民の間に広まり
身近な信仰として力を得ていく。
一方、悟りを求める菩薩にも
修行の程度、資質により、
その実力に差が出ることは想定される。
極端に言えば、修行はすべて終わり
如来になることが約束されているもの。
まだ、悟りを求めて修行し始めのもの等様々。
そのような見方から
菩薩にも上級クラス、下級クラスなど
ランク別けが必要と考えられるようになる。
特にトップクラスの菩薩は
来世で如来が約束されている菩薩。
このような菩薩を
「一生補処(いっしょうふしょ)」の菩薩という。
この一生補処の菩薩は
如来に従って、その活動を補助する
役割を与えられるようになる。
それが阿弥陀如来を補助する
観音菩薩、勢至菩薩というような
三尊像のスタイルの芽生えとなる。
また、補佐する菩薩そのものへの
信仰も盛んになり人気が出てくるようになる。
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