ブッダの遺骨余話


 ブッダの「真理のことば」の解説本
(NHKテキスト)にブッダの遺骨について
面白い話が載っているので紹介する。

 1898年、イギリスの考古学調査隊が
ブッダの生誕地のあるルンビニー付近を
調査していたら、骨の入った壷が見つかった。

 壷には古代文字で「ブッダの骨」とあり
アショーカ王の祀ったブッダの骨であろうと
大変な話題になり、タイへ寄贈された。

 これを受けて、当時のタイ国王ラーマ五世は
自国だけではもったいないと
世界中に分けることになり
日本にもその一部が贈られたという。

 日本ではそれをどこに置くかで
仏教界で大もめとなり
どこの宗派にも属さない寺を建て
安置することになったという。

 その寺が名古屋市内の
覚王山日泰寺(かくおうざんにったいじ)。
日は日本、泰はタイという。
今でも地下鉄「覚王山」として駅名となっている。

 建立当時はブッダの遺骨ということで
人気となり大変な盛況であったが
今では当時の賑わいはないという。

 同じ仏教と言っても、日本の宗派の複雑な事情、
熱しやすく冷めやすい日本人の宗教観。

 ブッダは人の存在は単なる要素の集まりに過ぎない。
遺骨に何の意味もないとしたが
ブッダの面影を追う遺骨騒動。

 実はこれが、時代を大きく遡ると
仏像への芽生えの前ぶれと重なる。



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